当日その時、私は仙台市内を移動中でした。携帯電話でお客様と話をしながら揺れを感じ「これは大きいですね、長いですね、とにかく一度切りましょう、どうぞご無事で!」お互いにそういって電話を切りました。その瞬間はまさかこれほどの地震が起こっているとは思いませんでした。
幸い、事務所のある場所は翌日には電気が通いました。同時にお客様からは次々と相談の電話が入りました。その日から1年6カ月。「社会保険労務士という職務は、この困難の中でどのようにお客様を支えることができるのか。」自問自答しながらお客様とともに毎日を過ごしてきたように思います。今回、震災記録誌を作成するというお話を伺い、私なりにこの間に考えたことをまとめました。
3月14日(月)からの最初の1週間は、お客様の安否確認をしながら、情報収集をし、お問い合わせに答えていくことで精いっぱいでした。
厚生労働省のホームページに特設ページが開設され、「東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について」というファイルが刻々と更新されていく中で、雇用に関する部分を継続的に追って情報を収集していました。この時点で私のところには、
- 工場が津波で流され、当面雇用は難しい、このまま解雇してよいか?
- 店舗は辛うじて残ったが、ガス供給、食材・食器調達等の先行きが全く見えない、いったん店を閉めようと思うが、どうしたらよいか?
- 10日締の給与はどのように計算して支払ったらよいか?
- 3月11日付退職の離職票はいつ発行されるか、社会保険の喪失手続を進めてほしい
といった相談・要望が次々と入ってくる状態でした。
3月17日にようやく私なりに下記項目について考え方をとりまとめ、第1報としてお客様に一斉連絡しました。
- 各事業所における自宅待機にあたっての給与に関する取り扱いについて(休業手当の支払が必要か否かの判断について)
- 雇用の終了について(解雇予告適用除外認定申請について)
- 雇用保険の失業給付に関する特例措置について(わかる範囲)
- 健康保険について(保険証紛失時の窓口での申告について)
労働基準法Q&Aの第1報がでたのは翌3月18日です。今考えれば、もう1日待つべきだったのかもしれませんが、お客様に一つの考え方の物差しを差し上げたいとの思いで、各所に問い合わせまとめました。
当時、大きな被害を受けた事業主の方々は、解雇か、雇用維持か、大きく揺れ動きました。重く、難しい局面だけに、日々発信される新しい情報を見ながらの検討でした。
そこで今、思うのは2つです。
- 混乱した状況の中では、手続やシステムはなるべくシンプルなほうが分かりやすく、使いやすいということ。
- 早く進めなければならないことと、早く進めてはいけない事があったということ。
①雇用保険の特例措置について
平成23年3月14日、私が震災後初めて確認した厚生労働省の「東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第13報)」には、雇用保険の基本手当の震災時の特例措置について既に記載されています。
〈雇用対策関係〉
当面の緊急雇用対策として、
- 今回の地震により事業の継続が困難となった災害救助法指定地域の事業所から、一時的に離職せざるを得ない方の生活を保障するため、事業再開後の再就職が予定されている方であっても、雇用保険の失業手当を支給できる特例措置を実施。また、失業給付を受給されている被災された方々の便を図るため、特例的に住所地以外のハローワークでも受給できるように実施
- 失業の不安や雇用の維持など、被災中の様々な仕事に関する相談にお答えするため、特別相談窓口をハローワークに設置
- 緊急避難の方々に雇用促進住宅を一時入居先として提供できるよう、雇用・能力開発機構に要請。併せて、自治体からの要望に応じ緊急避難場所として活用することを同機構に要請
(雇用促進住宅利用可能戸数)
岩手県2,615戸、宮城県819戸、福島県1,239戸(3月3日現在)
※但し、一部が震災により利用できない可能性が有り得る。
(3月12日 職業安定局総務課)
当時の雇用保険の特例について記載したリーフレットには「この特例措置制度を利用して、雇用保険の支給を受けた方については、受給後に雇用保険被保険者資格を取得した場合に、今回の災害に伴う休業や一時的離職の前の雇用保険の被保険者であった期間は被保険者期間に通算されませんので、制度利用に当たってはご留意願います。」と書かれており、また、3月18日の厚生労働省の文書には「事業主や労働者等に対する本特例措置に関する説明に当たっては、本特例措置を利用した場合には、本特例措置を利用した以前の雇用保険の被保険者であった期間は被保険者期間に通算されないこととなる等留意すべきことがあることについて、併せて説明する必要があること」とあります。大混乱のハローワークで資料集の中に入れられている用紙も渡されました。
しかし、当時それがどんな意味をもつのか、をすべて理解してその後の手続を進めた事業所もしくはご本人がどれだけいらしたでしょう。多くの方は、次の基本手当を受給する時のことを思い描き「今の生活費のために、それは仕方がない。」と、受給を選んだと考えます。震災後、私がお手伝いをしたり相談を受けたりする中で「当時、そのことが本当に将来にどれだけの影響を受けるか分かっていただろうか」と思わずにいられないのは、高年齢継続給付の要件である「被保険者であった期間(基本手当を受給したことがある方は、受給後の期間に限る)が通算して5年以上ある被保険者で~云々、の5年間の要件です。給付を受けたのだから当然と言えば当然なのかもしれませんが、55歳以上で被災した方は、今後60歳に到達しても受給権は60歳で発生しません。場合によっては何十年と雇用保険の被保険者として勤務を重ねてきた方が、震災を機に基本手当を受け取ると、その後60歳を迎えても被保険者期間はリセットされていますから、高年齢雇用継続給付の資格を満たさないのです。私自身、既に受給権が無いことを説明する場面がおきています。あの時のこと・・・皆様、もちろんその記憶は新しいのでご理解くださいますが、「まさかそういう影響もあったとは。」という思いが過っていることは間違いありません。
②社会保険料の延納と免除
平成23年3月18日に「社会保険料の納期限の延長等について」という文書が出されました。しかし「標準報酬月額の改定の特例(機動的改定)・保険料の免除の特例について」が発表されたのは平成23年5月です。阪神大震災の時のことと照らして確認しても、3・4月の段階で確認を取ることはできませんでした。私が関わる事業所では、従業員の退職・継続雇用を判断したのはほとんど3月末~4月上旬です。事業所にとって、雇用を継続した時に、たとえ労働基準法第26条の休業手当に該当する休業ではなくても、雇用を維持することで社会保険料の支払が継続する(たとえ延納となっても将来は支払わなければならない)ということは大きな支出であり、雇用を継続できないという判断へ大きく動いたことは否めません。もしも同時に、延納と免除の通知がでていたら・・・もう少し事業主に選択肢が広がっていたのではないかと考えざるを得ません。
③雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金の特例
平成23年6月16日、この日は「雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金」の特例(3月11日以降の休業について、遡及して申請ができる)期限でした。3月末から4月にかけて雇用継続の判断をし、書類を整備して当日までに申請をするーこれは厚生労働省の窓口のみならず、事業主団体等からも情報が提供されましたので、仙台市内では相応の対応ができたように思います。私自身、6月16日の期限ぎりぎりまで、約20社の申請に関わりました。しかし11月に沿岸部で出会った事業所は、そういった制度があったことを全くご存知ありませんでした。そして職人さんを手放さないため、給与に近い額を社長のポケットマネーで渡していた、という会社は1社ではありませんでした。6月と言えば、沿岸部ではまだ避難所生活が続いており、浸水域では事業所に入ることもままならない時期でした。5月後半から6月は、地域によって事業所の情報取得力に差が出た時期ではないかと思います。基本手当受給延長と同じ地域に限定してでも、助成金の特例期間を延長していたら、少なからず追加の借金を免れたり、その後の経営の困難さが軽減されたりした事業所があるのではないかと思うと、そうした事業所の皆様の前で、特例があったというお話をすることはできませんでした。
④労働保険料の免除制度と社会保険料の免除制度の違い
これは、日常的に労働保険、社会保険に携る私たちでさえ、混乱しました。現実に、11月にある相談会にみえた沿岸部の事業所では「いろいろと資料は届いていたが全く見る気になれなかった。5月6月なんて、それどころではなかった。」と仰っていました。一式預かり、最終的には700万円以上の免除額となりましたが、社長は「これは借金をしてでも払わなければならないと思っていた。」と仰っていました。私はこの事業所に偶然出会ったわけですが、よくわからないという理由で資料を脇に置いたままにしていたり、情報が浸透しなくて利用できなかったりした会社があっただろうと思うと大変残念です。社会保険の月額変更(機動的改定)についても同様のことが言えます。
ここからは、あくまでも私見です。
阪神大震災、中越沖地震、東日本大震災・・・このように大震災が続き、次も予測される中、この困難を、次に起きるかもしれない地域の事業所、社会保険労務士の先生方にできる限り事前に知っておいていただきたい、と思うばかりです。
- 阪神大震災、中越沖地震の経験が生かされなかった
⇒『大震災時の際に出される特例が一覧化されること』ができたら! - 会員間の情報共有ができなかった
⇒例えば、連合会のホームページに「震災専用フォルダ」を作成して、分野別・時系列で情報を整理、いつでも会員番号で見られる状態にして頂けたら!
私自身、過去の大きな震災の時にどうだったのか、情報を整理して今回の大震災を迎えたわけではありません。当然、現場で経験を活かすことはできませんでした。当時、集められる限りの資料は収集したつもりですが、事務所ホームページで公開したり、県会に整理して提供したり、そういったことには正直、手が回りませんでした。これを機会に特例や震災時の通達を一覧化し、事前に社会保険労務士をはじめとする専門家が知るところとなっていれば、どれだけ現場がスムーズに動くだろうと思うのです。また、震災という判断によりこれらの通達が一度に発表されれば、混乱も最小限に抑えられ、救われる事業所、救われる従業員も間違いなくいると思うのです。
3回の大きな震災を経て、厚生労働省が緊急に雇用に関して発する特例はほぼ固まったように思います。震災後、事業所からの問い合わせに対し、様々な制度を調べる中で「阪神大震災の時は○○の取扱いがされたが今回はどうなるのでしょうか」と確認すると「きっとそうなるでしょう、ただ通達が出ない間は確定とは言えないのです。」そういった会話が各窓口と何度もありました。その後、実際に文書が出される迄に1ヶ月以上かかるものもありました。
震災後に関与した事業所で、3月31日に全員を集めていったん「解雇」を言い渡したものの、その後の相談会で情報を耳にし、(一時離職でも基本手当を受けられることをうけ、手に職のある方々を手放したくないという思いから)全員を「一時休業」に切り替えたという話もあります。
大震災後、困難だった個別労働紛争のうちの1件を紹介します。解雇予告適用除外認定を受けて従業員を解雇した事業所があります。その後の懸命の努力により、営業再開したところで、退職従業員が合同労組に加入し、団体交渉を求めてきました。「営業再開の意思があったのであれば、解雇予告適用除外認定の手続そのものが無効であり、その間の休業手当と解雇予告手当の支払いを求める。」というものでした。ご本人は労働基準監督署にも赴いたようですが、窓口で『労働基準監督署の除外認定そのものは「事実認定行為」であって、解雇を認めるという趣旨ではないこと』の説明を受け、最終的には労働組合と顧問弁護士との間で収める形となりました。「3月何日までが、完全に事業遂行不可能な日で、何日に復興の意思を固め、いつ復興に向けて着手したか。」この点を争うことにどれだけの力を注げばいいのか…解雇手続時にもっと説明を尽くせばよかった、と言っても始まりません。事業所は、相当の力を注いで対応にあたりました。
私たちは、すぐに電気が戻り、職員を含めて被害も最小限度に抑えられました。ですからすぐに事業所の対応に全力を向けることができました。けれど、そうではなかった先生方が殆どであろうと思います。私自身、当時もっと何かできたのではないか、振り返ってそう思うこともしばしばです。ああすればよかった、こうすればよかった…それを今考えても当時に時間を戻すことはできません。
だからこそ、この記録を残すことで、私たちの経験が少しでも近い将来起こると言われている地域での予防対策にお役にたてば、これ以上のことはありません。文字にすることで、読みにくい・イメージがわきにくい所もあろうかと思います。是非、時系列でまとめた通達等をお目通しいただき、いざという時の準備の一助にしていただければ幸いです。